祈り

先の休日、秋晴れに誘われて、泉涌寺を訪れた。別院の雲龍院では、秋色に染まり始めた庭を眺めたり、隣に並ぶ「迷いの窓」と「悟りの窓」の前に座ったりして、静かな時を過ごしたのである。心穏やかになれるひと時であった。

泉涌寺に向かう道筋にはいくつかの寺院がある。沿道左手に、「頭の観音さん」と書かれた文字が目に入った。そこで、まずはここ「今熊野観音寺」にお参りしようと境内に入った。由緒によれば、後白河法皇の頭痛が快癒したとのことで、和歌山県にある熊野権現を篤く尊崇する法皇が、開基は弘法大師空海にさかのぼる、この今熊野観音寺を整備し、神道としての熊野権現と、仏教としての観音寺を習合する形で信仰され、人々にも広まったとのことである。

自分や家族のため、神仏に祈願することは度々である。が、会ったこともなく、写真でさえ見たことのない方のために祈ったのは、これが初めてであった。

先だってこの欄に記した「全国戦没者追悼式」の前日に、靖国神社に昇殿参拝したのだが、その折は、亡き祖父とともに、太平洋戦争で散った多くの英霊にも祈りをささげたし、東日本大震災で失われた多くの人々の霊安かれと祈ったこともある。職業柄、子どもたちの合格祈願や学業成就を願うことも数多い。さらに、今年は、コロナの一刻も早い収束を神仏に祈ることもしばしばである。

ただ、今回の祈りは、お会いしたことのない方の病気快癒と、その後、平穏で幸福な生活が送れるようになることを願ったものである。ささやかながら、この祈りが通じることを切に願っている。

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